御霊神社(ごりょうじんじゃ)  後三年の役に出陣の際、鎌倉権五郎景政が戦勝祈願をした。戦勝報告の際に神社の松の根元に兜を埋めたことから、兜山(かぶとやま)の兜松(かぶとまつ)と呼ばれた。御霊神社と隣りあっている矢竹稲荷は、景政が後三年の役の戦(いくさ)の折、飛んできた矢に眼を射られ、その矢をこの地に挿したところ矢竹が根づいて、生い茂ったものだと言われ、のちに祀られたのが矢竹稲荷だという。16歳だった景政は、矢に眼を射られながらも、渾身の力で敵に矢を射返したため、人々はその勇猛な戦いぶりを賞めたたえ、御霊神社に祀ったと伝えられている。
 また付近には、景政が生まれた五反畑、産湯をつかった三日月井戸、戦で傷ついた目を洗った四ツ田などの伝承が残されている。
昭和51年
平成16年
昭和51年当時の記念碑(上)
現在(平成16年)の記念碑(下)
区画整理事業  昭和39年、東京オリンピック開催により首都高速道路が建設され、江戸城の北の丸、千鳥淵の石垣が一部取除かれたが、その礎石や石垣の石が村岡城跡に運ばれ、区画整理記念碑が作られた。
 その石は、1603年(慶長8)に江戸に幕府を開いた徳川家康の江戸城修築の際、加賀の職人たちが石垣に適した安山岩や玄武岩を真鶴や伊豆半島から切り出し、奥州の大名が修復に用いた由緒あるものである。

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